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マニアック

メタファーまみれの傑作アニメ映画 ”たまこラブストーリー”はオタク批判か?

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※終始、ずっとすごいネタバレします。未試聴の方は注意




「たまこラブストーリー」公開時の2014年から今日に至るまで、未だにこの作品に関する考察が投稿されているのは、もちろんこの作品が愛されているということもありますが、あまりにも多くのメタファーがおぞましいほどに精巧な計算のもとに仕込まれている…という理由が挙げられるべきでしょう。

何も考えずに観てもストレートな傑作青春恋愛映画ですが、何度観ても新たな発見があり、何度観てもわからない…というところがこの映画の魅力なのだと思います。

さて公開当時、上映後にこの映画を教えてくれたKさんとDさんという方たちと、この映画の素晴らしさについて話し合った際(もっとも私は勘が悪いので聞いてばかりでしたが)、まず挙がったのは「大丈夫なんですかね?」ということでした。


testぐるぐる回るもの
というのも、多くのメタファーが含まれるこの映画で、比較的わかりやすい「ぐるぐる回るもの」=「変化や未知のものを恐れて逡巡し、一歩前に踏み出せない状態」という暗喩が、そのままアニメーションに変化を求めないオタク像と重なったためです。

よくいう”社会生活で疲れたアニメオタクが、家に帰って見たいのは「何も起きないアニメだ」”という言説を鵜呑みにしてのことですが、当時からあるこの言説も、あながち間違いではないのではないでしょうか。


ここで、映画に登場する「ぐるぐる回るもの」をざっと図にしてみたいと思います。



ono_tamako02

思ったよりあんまりなくて、わりと序盤に「商店街の経済」と概念的なものが入ってしまい申し訳ない。

しかし、「日常系アニメ」を提供する張本人である京都アニメーションが「お前たちアニメオタクは、変化を恐れて前に踏み出さないチキン野郎だ」などと罵って、自分の首を絞めるようなマネをするとは考えられませんし、そもそもそれほど安易な悪意を内包するほど皮肉っぽい映画にはとても見えないのがこの「たまこ」なのです。

理屈と膏薬は何にでもくっつくといいますが、あくまで日常系アニメの映画化、つまり「オタクへのメッセージ」だと捉えるとして、この映画はどういうことを語っていると考えられるのでしょうか?




1. 不気味なアニメ「たまこまーけっと」


ono_tamako01

「たまこラブストーリー」はいわゆる日常系アニメである「たまこまーけっと」の劇場版。なので、登場人物もほとんど一緒です。

登場人物は、ほとんど主人公・たまこの家でもある餅屋「たまや」のあるうさぎ山商店街の面々で、餅屋の北白川一家、そして向かいにあるこれまた餅屋の大路一家を中心に、肉屋、銭湯などの商店、学校の友だちなどが行き交います。

全12話で構成される日常アニメ版は、そんな平凡ながら活気に溢れた商店街に、南の島の王子「メチャ・モチマッヅィ」によってお嫁さん探しに遣わされた鳥「デラ・モチマッヅィ」がやってくるところから始まります。マスコット的立ち位置としては「チンプイ」みたいなことですね。(ちなみにこの鳥、Google検索するとまず「うざい」がサジェストされる)

このアニメ、商店街がまるで遊園地やテーマパークのようにカラフルに描かれ、餅と商店街を愛するたまこのあまりにハッピーな描写と意図不明の鳥の存在によって、当初メディアや一部視聴者に「不気味」と表現されています。しかし、その「不気味」は伏線でもあり、またそれに説明がつくのは最後、第12話なのです。

この「不気味」さもあってか、日常アニメとしての「たまこ」より、劇場版のほうが出来がよいという評価がネットでは多く見受けられます。

端的にいって、日常アニメ「たまこまーけっと」は”たまこが日常を守る話”であり、劇場版「たまこラブストーリー」は”たまこの幼馴染であるもち蔵が日常を破壊する話”であります。日常アニメ「たまこまーけっと」は変化を恐れるオタクの肯定、逆に「ラブストーリー」は否定ともとらえることができるかもしれません。

このもち蔵という男、”茶髪にピアス”というチャラチャラしたなりでアニメヒロインからヒロインを奪う…という暴挙に出たわりに、なぜか多くの視聴者から好かれ、応援された男でもあります。変でしょう? ここで、これまでに浮かんだいくつかの疑問を箇条書きにしてみましょう。


  • なぜ商店街は不気味なまでにハッピーなのか?
  • なぜもち蔵たちは応援されるのか?
  • このアニメは怖がりなオタクの批判なのか、肯定なのか?




2. 登場人物


それでは、ざっと登場人物の概要を撫でてみましょう。


testたまこ
たまこは餅屋の娘で、亡き母ひなこの代わりとなって餅屋「たまや」の一家を支えています。



testもち蔵
もち蔵はその向かいの餅屋「大路屋」の一人息子で、たまこに恋い焦がれつつも何も言い出せない幼馴染です。
絵がチンピラっぽくなってしまいましたが、いい奴です。



testメチャ・モチマッヅィ王子
基本的には、この2人の仲に王子が遣わした鳥がやってきて、「この、たまこという娘が妃候補だ!」「いや違う!」などとてんやわんやする…というのが日常アニメ版。そして幼馴染であるもち蔵とたまこが向き合うのが劇場版です。

劇場版の節々にリンゴが出てくるのは、そのままニュートンの万有引力に関するテーマですが、2つの世界で対比される「王子」と「大路」、そしてリンゴと北「白」川たまこ…となると、単純に王子のキスで目覚める「白雪姫」の話が想起させられるのではないでしょうか。違ったらすみません。

ただ、日常アニメゆえに恋愛厳禁という不文律のもと、ただの噛ませ犬と化す「王子」と違って、劇場版で扱われる「大路」は、ほんとうに白雪姫でいう王子の役割を果たすことになるのですが…。




3.たまこはなぜ日常(商店街)を守るのか?

ネタばらししてしまうと、アニメ「たまこまーけっと」において、たまこは自分の日常である「商店街」をかたくなに守ろうとます。これは、たまこの母親であるひなこが死んで失われた「日常」を埋める存在が、商店街にほかならないからです。

商店街が、まるで遊園地のように明るく描写されているのは、たまこが商店街という日常に、必死に自分の平穏を、安心を見出そうとしているからではないでしょうか。それゆえたまこは、商店街の活気を守るために努力を惜しみません。

ここで、最初の疑問を振り返ってみます。


    なぜ商店街は不気味なまでにハッピーなのか?

第6話「俺の背筋も凍ったぜ」。この回、事情を知らずに見ると「何だこれ、不気味だな」となる回で、その不気味さが違和感となってこのアニメの根底を流れているものを示唆しています。

この回の冒頭、たまこが商店街のある時間に、商店街の人通りがないことに気付く…というシーンがあるのですが、これまで遊園地のようだった商店街が突然、廃墟のようにどんよりと描かれ、足元に蝉の死体が転がり、烏が飛び立ちます。それを見てたまこの言うセリフが「やっぱ人通り、少ない?」です。そこじゃないだろ。

そして、この回は商店街に起こる数々の奇奇怪怪がミステリータッチで描かれ、そのすべてが「これが氷菓を作った京アニだっけ?」というような、どうってことのない着地を収めるのです。蝉の死骸や廃墟のような商店街の描写は「ミステリー回でした、てへへ」というオチで仮に丸く収まりはするのですが、この描写の意味が本当にわかるのは最終話。



test母・ひなこ
このたまこまーけっとというアニメで忘れてはいけないのは「死」という概念で、朗らかで気丈に見える彼女は、実は死と戦っている…という事実です。

たとえば老人ホームのネーミングとか、薬局の名前とか、ことさらに死を忌避して表現しようとした結果、かえって死を想起させる結果となるようなことがないでしょうか? 消臭剤の香りが、かえってトイレっぽさを演出してしまうことはないでしょうか?

「ある存在」をことさらに排除しようとした結果、かえってそれを示唆してしまう…という現象を起こしているのが、たまこまーけっとにおける「不気味なハッピーさ」の正体なのです。




4. ぐるぐる回るもの


ono_tamako02

「たまこラブストーリー」、そしてそれ以前に「たまこまーけっと」の時点で、「ぐるぐる回るもの」=「変わらないもの」というメタファーはすでに登場しています。


test
地球のまわりをぐるぐる回る月は、もち蔵のメタファーです。
アニメでは直接的に、常盤みどりの口によってもち蔵は「たまこの周りをぐるぐる周ってるだけ」と揶揄されます。


test鉄道模型
関連して、もち蔵の部屋にある鉄道模型もぐるぐる周ります。
たまこに話しかけられないもち蔵が、模型に触れるシーンがあります。


testレコード
レコードは喫茶店とたまこの家、そしてエンディングテーマにも出ます。
ぐるぐる回るものですが、レコードの盤面が一回転したとき、針はほとんど同じ位置にあるものの、実は少しだけ中央にズレている。
「昨日と今日は変わらないようで少し変わっている、その寂しさを味わいに変えるのがコーヒーの苦み」と喫茶店のマスターが言っています。


test黒電話
たまこの餅屋に置いてある黒電話は、恐らくぐるぐる回るダイヤルと、変化しないいわゆる「サザエさん時空」の示唆だと思われます。



たまこラブストーリーは、たまこが”人の思いを「キャッチ」できるようになるまで成長する話”ですが、「もち蔵の投げた糸電話のコップをたまこが毎回キャッチできない」という伏線は、日常アニメの時点で張ってあります。

また、もち蔵の家のポスターが「Paris Love Story」であることなど、放送版の制作時点で映画の制作が決まっており、また映画を観てからアニメを観る…という順番の視聴順序も想定しているように見受けられます。だからこそ、ゾッとする場面があるのです。




5. 回らないもの→往復する(行って帰ってくる)もの、直線的なもの


さて、ぐるぐる回るものが未知の前に逡巡する、変化しないもの、日常を表すとしたら、その反対もやはりあるはずです。

それは、ぐるぐる回るものと対比的に描かれるはずです。


ono_tamako03


「たまこラブストーリー」で往復したものはこれだけありました。往復するものは、ぐるぐる回る日常に対し、未知へ一歩踏み出す、進歩的な場面を演出します。

ぐるぐる回るものに対して、直線的なものだと対比としてわかりやすいのですが、あくまでこじつけなのでうまくいかず、「往復するもの」というのが限界の共通点でした。


カセットテープとバトン

この2つは、「往復するもの」と「回るもの」の両方を備えているといえます。放り投げたバトンは回転しながら重力にしたがって落下し、やがて戻ってきます。

重力、というより万有引力はこの映画の冒頭に「By always thinking unto them. (私が発見をしたというのなら、それはずっとそのことを考えていたからに過ぎない)」というニュートンの言葉が表示されるとおり、この映画における主題だといえます。



testカセットテープ
カセットテープと対比され得るものはアナログレコードですが、このカセットテープというものは「レコードほどは古くないが新しくもない」という中途半端な物体です。
そして、カセットテープというものの構造自体、回るものともいえるし、直線的ともいえるし中途半端なところです。長いテープは直線ですが、それを巻き取ったテープは円運動をします。

テープには、たまこの父・豆大が母・ひなこに送った(告白するために歌った)曲”KOI NO UTA”が入っています。このテープをたまこが初めて聴くのは、第9話「歌っちゃうんだ、恋の歌」です。父・豆大が昔の思い出に弾き語ったのを偶然聴いたたまこが、父・豆大をかつてバンド仲間であった喫茶店のマスターのところまで連れていくことで、「この曲で父・豆大が母ひなこに告白した」ということが判明します。

この出来事はたまこにとって衝撃だったでしょう。つまり、自分を育んだ父と母という”日常”が、実は過去の”恋愛”という、たまこにとっての”非常事態”に根差していたことに気付くからです。恋愛を”未知のもの・非日常”として恐怖し、”既知・日常”を固持しようと躍起だったたまこにとって、その2つの反発するはずの概念が混じり合っていることは理解不能なはずです。

映画では、たまこがこのテープをかけたまま、あんこと雑談している際、テープがオートリバース機能でB面になり(往復ということです)、”KOI NO UTA”を受け取ったひなこが、また下手くそな歌を吹き込こみ豆大へ返していたことがわかります。

オートリバースという、絶妙に古い機能が演出に一役買っているというのは世代間の繫ぎ目としても憎いほど決まっているのですが、ともかくこれがきっかけになり、たまこはもち蔵の気持ちを受け止められるようになるのです。

この、”日常と非日常の中間”という役割のために「カセットテープ」という、中途半端な小道具が登場したのは必然かもしれません。

「いつまでもそこにいたい」とぐるぐる回るたまこと、「新幹線に乗って東京へ行く」と決意するもち蔵(すみません、行きます)を対比だとしたら、メタ的な視点で、たまこは「たまこ」を”日常アニメにしたい人”、もち蔵は”非日常のストーリーにしたい人”です。

何も起きないことを望むオタクにとって、たまこは自分自身であり、たまこに告白してきたもち蔵は画面の手前にいる自分に告白してきたも同然で、憎めるはずがないのです。(嘘です)


  • なぜもち蔵たちは応援されるのか?

アニメにおける恋愛はとてもデリケートなもので、たとえば声優が恋愛をしていたらCDを割られます。

今になってみればわかることですが、オタクにとってアニメ声優のCDを割るということは、”ぐるぐる回る日常”を割るということ、つまり”あなたはわたしの日常を破壊した”という高度なメタファーなのです。(もちろん嘘です)

そんなデリケートな状況で、ピアスで茶髪のもち蔵がなぜ憎まれないのか…たまこともち蔵の恋愛はなぜ応援されるのか…というところに、このアニメで恋愛を扱うにあたって決して”いいだけのこと、ゴシップのような下世話なこと”ではなく、”未知への不安や痛み、失う恐怖をともなうもの”として、成長とセットで描いた…ということが挙げられると思います。

彼女にとって、「日常をはみ出て、非日常の海へ漕ぎだす」ことは、母の死に対峙することと相違ないのです。

告白されてからエンディングまでの長い時間、たまこは2人の関係が変化し、抗いようのない不可逆な流れの中で、ひなこの死以来の喪失の恐怖と戦うことになります。それまで恋愛に関して無頓着だった彼女が、選択を迫られ、急速に大人になることを強いられて四苦八苦するさまが、痛いまでに心を打つのです。

ここまでくれば、相手がウニだろうとホタテだろうと、この子が好きなら応援しよう! という気持ちになるのではないでしょうか? 私はなります。




7. シリーズと映画、日常と非日常の関係

この「たまこラブストーリー」「たまこまーけっと」2つのお話の中で”日常と非日常” “既知と未知” “逡巡と冒険”といったものが対比的に描かれています。または、描かれていないともいえます。

そして、一見「ほら、この日常の中でぐるぐる回ってなよ」というアニメシリーズと、「ほら、前に一歩出てみなよ」と背中を押す映画が、同じやさしさの中で、矛盾していないということが、この作品たちの優れたところであると考えます。

たまこにとって”日常”である父親と母親の関係に、「過去には冒険があった」ことをたまこはアニメシリーズと映画を通じて気付くのです。

もち蔵に告白されて、はじめて恋愛の当事者になったたまこは、自分がいつも通っている商店街の会話の中なかに、ささやかな愛が溢れていることに気付く…というシーンがあります。今まで何度も聞いてきたはずである些細な会話が、これまでのたまことはまた違って感じるのです。

映画(非日常)を観ることによってアニメ(日常)の解釈が広がる…つまり”冒険によって日常は破壊されるのではなく、拡がる”ということを彼らは教えてくれているのではないでしょうか?



test妹・あんこ
豆大とひなこが日常を手放し、恋愛という冒険をして、その結果、たまこやあんこというさらに広がった日常が生まれたように。
私が後述する「たまこ」のすごい考察(※記事下部参照)の文章を読んでいるときに、複数の方がおっしゃっていたのは、「アニメには偶然映りこんだものはない」ということでした。

「なんとなくこういう設定にしたんですよ」とか「なんとなく鹿を走らせたんですよ」ということもないこともないと思うのですが、少なくとも京アニや山田尚子監督と、そのアニメを見る人たちの間には「すべてを本気で作ったから、本気で観てもらう」「本気で観られるから、本気で作る」という関係があるように思えます。


testたまこの友だち・朝霧詩織
そうして、そういう関係を知ったときに、「アニメってすごいな」と思ったのがごく最近のことでした。

たとえば、放り出されたバトンがどうして落ちてくるのか? 糸電話の声はなぜ往復するのか? テープがオートリバースで戻ってくるのはなぜか? たまこの友だちの朝霧詩織は、なぜバドミントン部なのか?

…偶然そうだったから、といってしまえば身も蓋もないですが、私はここにも”何か意図”があるように感じます。

バドミントンの羽はシャトルコックといいますが、シャトルというのは”折り返して戻ってくる、往復するもの”のことをいいます(スペースシャトルとか)。私はすべてこれらは「戻ってこられる」ということを示したいのだと思います。


  • このアニメは怖がりなオタクの批判なのか、肯定なのか?

つまり、このアニメは「ぐるぐるした日常」から「冒険する非日常」に飛び出しても、戻ってこられるということを言いたいと思うのです。



testデラ・モチマッヅィ
作中、デラ・モチマッヅィの言葉によって、”Everyone loves somebody.”万有引力は愛であるということが示唆されています。


これを加えると、たまこラブストーリーのメッセージは…。



恋愛してもいいよ、夢を追いかけてもいいよ、結婚してもいいよ。それでアニメが観られなくなるなんて、怖がらないで。私はあなたが必ず帰ってくると知っているから。だって、あなたはアニメを愛しているし、アニメもあなたを愛している。愛という万有引力がある限り、あなたは絶対にここに戻ってこられる。だから恐れずに旅立って。そして、帰ってきて。そしたらブルーレイを買って。いっぱい買って。






だから私は、ブルーレイを買う。


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※すごい考察


超記憶術ブログ@K-ON!!

とにかくすごいので、観た人は読んでほしい(すごい)。最近も更新している様子。



じなんだけどアニメ語るよ!

暗喩をとらえる引き出しの多彩さがすごい。”川を流れそして走り周回遅れ”レコードの周回遅れを取り戻す、という解釈がすごい。



ねざめ堂

「たまこまーけっと」でのたまこは「面的な物語」のなかで、ひとり「線的な物語」を背負っている…というすごい指摘。「日常系アニメの中で日常を守ろうとするキャラクター」という、ある種メタ的なたまこの孤独の説明で、読んで見方ががらっと変わってしまった。怖い。



たまこまーけったー1

シリーズ版当時の考察。たまこ泳げない→恋愛に関するみどりともち蔵のやり取りは”水面下”で見えない…という気付きがすごいのちに、映画でたまこが告白され驚いて鴨川に転落するシーンがあって、ここで初めて水面下でバッチリ目を開ける。



まなべや

アニメに偶然はない、という文章の書き方がもはや詩。



こういう発見をする人たちにこそ、ニュートンの言葉が似合っていました。

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